最近の事。

いい加減な生き方をしてきた。不真面目、怠惰、ルーズ。全部当てはまる。そんな生き方をしてきた。ずっとそんな風に生きていたから、それでもいいような気がしてしまっていたけどやっぱり現実そんなことは無いらしい。何かに追われるように現実は駆り立てられる。逃げるように追いかけている。だけど僕には現実を駆り立てるものが現実感を持たないでしまっている。何かに追われて何かを追いかけているけどそれが何か値するものなのかが、僕には納得できない。ピンとこない。思いつかないのだ。そのせいか最近は夜眠れないことが多くなってきた。夜は時間が止まっている、だけど確実に何かは近づいてきているような気がしてズレを感じながらただただ眠れずにいる。目を閉じて眠ろうとするとそのズレはより一層大きく感じられてしまう。前は寝るという感覚を持って眠れていたのに最近では目を閉じてそのズレに耐えているうちに気絶しているように寝ていてふと気がついたら朝になっている。朝といっても朝ごはんを食べるには遅すぎる時間になっているので、適当に飲み物を飲んで昼まで誤魔化しながら誰に連絡をしてどう時間を潰すかというのを考える。僕は何に追われているのだろう。

O.R.

画廊2

(※画像の出典は最後にまとめて載せてあります。)

絵を見ている時に、突然何かが閃くことがあります。一体何が閃いたのかは、分かりませんが。
後になって、あれは主題が良かったとか写実表現が卓越していたとか考えたとしても、初めて見た時の感動は何度も味わえるものではありません。
あの感動をお届けすべく、今回は9枚の画像を用意しました。ひとこがお送りしまーす。

 

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さて、日本の美の概念に「萌え」というものがありますが、ここ画廊で扱う画像群は萌えの影響を受けたものが中心になります。なぜなら日本のインターネットアートシーンでは萌えが基本になっているからです。出回る絵の殆どが萌えを踏まえた上で個性や技術で勝負するような絵で、萌えそのものに対して意識的な作品は少なく、そもそも日本のインターネットアートシーンで「萌え」という言葉はあまり使われていません。一方、当記事では萌えという現象に対して意識的になっていこうと思います。任意の絵が萌えの趣きを持つことの必然性について、今後芸術的、社会的な視点から考えていこうと思います。それでは見ていきましょう。


1:けものフレンズの二次創作イラストで、「D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?」(日本語訳:我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか)という大人気絵画(以下Que)のパロディー作品です。ちょっと見比べてみましょう。

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構図がほぼ一致しているこの2枚の絵ですが、主題は全く異なります。Queが原始的な人間存在への眼差しと亡き娘の輪廻を主題としているのに対し、二次創作の方は人物が全て美少女に入れ替わっておりそれらの意味が失われています。Queは暗い背景に浮かぶ鮮やかな人物や陰鬱な雰囲気が印象的ですが、二次創作の方は更に鮮やかな色彩とフレンズの穏やかな表情から比較的明るい雰囲気を感じ取れます。さあ、意味を失い、明るい雰囲気を手に入れたQueですが、ここで更なる呪文をかけられます。それが萌えです。醜い姿をした人間達はあら不思議、あるべき姿へと変化しました。この美しい少女と化した老婆(画面左端)をご覧ください!「全てを受け入れざるを得ない死に最も近い老婆」はヘラジカを擬人化した美少女に生まれ変わり、何も考えてなさそうな鳥をボケっと見つめています。なんという呑気さ。
なんとなく、萌えの効果を知って頂けたでしょうか。若さや顔の美しさを賛美することで一気に画面が明るくなり、とっつきやすさが上がります。「ポールゴーギャンの絵はその卓越した主題に価値があるのに、これじゃ一番大事な意味がなおざりになってるじゃないか」と憤った人も、意味不明なポーズをしているサーバルちゃんが目に入った途端、そのあまりの可愛さに目線がケモ耳から腰にかけて素直に動いてしまいます。
画廊1で述べたように、絵や絵の世界の意味、価値は受け取る側次第で幾らでも変化します。だから絵の寓意性を考えることをやめた!という姿勢と、意味や価値を考えることを持ち前の可愛さで妨害する萌えとの相性の良さは特筆に値します。

2:ヨレヨレでカクついた線で描かれたきちんとした絵です。今にも動き出しそうな明るいネオン街ですが正面上のビルがかなり暗めに描かれており、これが画面に奥行きを与え、夜の街に立体感を出しています。カラフルなアクセサリーにゴチャゴチャした買い物袋、ピカピカの靴と服、キラキラしたデザートを食べている大きくて綺麗な目をした女の子の鮮やかな髪色に都会の光が反射して、画面全体が眩しいほど光っています。そしてこの女の子達の座っているあり得ない場所も、絵に馴染んでいます。絵のタッチと主題の相性が良いですね。この明るくて不気味な雰囲気と独特な世界観にも、萌えの要素が不可欠です。

3:女の子から草が生えています。ただそれだけなのに、さっきから可愛い女の子の絵ばっかり!つまんねーよ!って言ってくる人を黙らせる程度の力が、この絵にはあります。この緊張感。1と同様に、萌えを踏まえた上で一癖、二癖と捻りを加えた絵の典型的な例です。少ない情報量でここまで立体感と雰囲気を出せるのは技術の賜物ですね。それと色が綺麗です。

4:絵の名前は「忘れっぽい天使」です。こんな素朴で不安定な図形でも、言われてみれば天使に見えてくる不思議。不安定なのに何故かバランスが取れてる気がしてくる不思議!しかもこの天使、天使のくせに忘れっぽいらしい。マジ?天使かよ。白と黒の緊張感ある図形の構成と、このあどけない表情と絵の名前とが良い感じにマッチしてます。

5:めっちゃイカすパーカー作ったんだけど、とりあえず可愛い女の子に着せとくか。

6:2みたいなアンチエイリアスを切った(カクついた)線が印象的です。うひひひやってやるぜーってのが伝わってきます。

7:2や6とは対照的に、滑らかな曲線で構成される人物画です。こっちがメジャー。そして王道のデフォルメ。普通に可愛いっていうのをただ呈示する絵です。これが今のインターネットアートシーンで受け入れられるための超基本を押さえたものになります。

8:2,6の乱雑さと7の滑らかな曲線を両立させたといえる作品です。艦これのキャラクターを使うことで萌えという基本を一旦押さえ、独自のデフォルメで個性を極限まで出し切っています。

9:危なっかしいモノと萌えも、スイカと塩みたいに相性良いですねー。魚眼パースに安定感を与える構図といい描き込みの量といい絵柄が洗練され尽くしています。

 

 

はい今回は終わりです。ようやく二周目に入って他の皆も記事の方向性が大体決まったって感じかな?皆の記事、とても面白かったので次も楽しみにしてます。

実は先日の台風で風邪引いちゃって、もし一人でブログやってたなら絶対サボったところを何とか書き終えました。あぶねー。それじゃまた次回会いましょう!

 

出典

1:ヌ on Twitter: "けものフレンズってまさにこの問いで動いた作品だと思ったので描きました https://t.co/ofT3KvzaTp"

2:500円でカービィ4コ全部取った。ほめて。 | エース明 https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=63432509

3:チョモラン スプケス05 on Twitter: "https://t.co/YcdvSyvBfx"

4:パウル・クレー 忘れっぽい天使

5:つくみず on Twitter: "https://t.co/KqDijqT9pX"

6:艦これらくがきまとめ | にんげん https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=50134419

7:すのみ on Twitter: "過去ラフに色付けにこー J(*‘ヮ‘*)し✨ #矢澤にこ生誕祭2017 https://t.co/UHDtWfYLYK"

8:ちぐ歯茎ダサわやか on Twitter: "ヴェルヌイ https://t.co/vmaUGPY9fD"

9:トガちゃむ | 松葉 https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=61337749

初めましてとコントと鬼

 こんにちは、私はゲラと申します。年は、十八。どうぞよろしく。

 高校の時から、友人と共同でブログを管理することに興味はありました。このブログは、皆が卒業した今、とりあえず実行に移してみよう、と始めたものです。これからどう進展してゆくか、楽しみにしています。

 さて、ブログの内容についてですが、私は現在浪人生でして、生活の主体が勉強とそれ以外に二分されています。勉強以外について、音楽鑑賞をほぼ毎日、その次にお笑い鑑賞、そしてたまに詩を読むといったところが今後のブログの内容になると思います。今回は、お笑いの一つのジャンルであるコントについて紹介したいと思います。コントを実際に作ったことはほぼ無いし、私の知識は底の浅きこと幼児用プールの如しなので、ご指摘があればよろしくお願いします。

 私は小学校の頃からお笑いを見るのが好きでした。レッドシアター、レッドカーペットをよく観ており、学校での周りの友人との会話においても、お笑いは共通の話題の一つでした。この国ではネタ番組のみならず、バラエティ番組や街の広告など、至る所でお笑い芸人を目にします。お笑い文化はそれだけ多くの人に浸透していると言えるでしょう。きっと、お笑いのことをよく知らない人でさえ、NON STYLEサンドウィッチマンの名前は聞いたことがあると思います。しかし不思議な事に、ネタの種類であるコントと漫才の違いについてはあまり認識されていないようです。この2つは形式において大きく異なります。多くの漫才では、マイク一本を前に、ボケとツッコミが観客に向けて話を進めるのに対し、コントは寸劇ですから、演者が役になりきった上で、小道具を用いるなどして展開させます。一般的にコントのほうが所要時間は長めです。芸人を挙げるとすれば、NON STYLEメイプル超合金は漫才を、東京03やロバートはコントをします。
 
 コントを専門で作る芸人のうち、私はずっとロバートが大好きでした。しかし、かもめんたるのコントを観た時、それまでの私のお笑いの見方では対応出来ず、あまり笑えませんでした。それは、彼らの設定やセリフが普通の生活では考えつかないような不自然さを持っていたからで、そこに何らかの意図を感じたのです。そして、キャラのセリフや設定を、自分なりに解釈しながらコントを見始めました。

 このブログでは、既にひとこが絵と共に、自分の解釈を載せていますね。私も、直近に観たコントの勝手な解釈を書こうと息巻いていたんです!ただ残念ながら、ちょうど今、寝ていた鬼たちが起き出したみたいで、危険な状態なんすよね。なので今度になりそうです、、、(泣)その代わりに、ハマっている曲を紹介します↓


Age Of Consent(曲)---Power,Corruption and Lies(アルバム)/New Order(ミュージシャン)
https://m.youtube.com/watch?v=8ahU-x-4Gxw(リンク)

それでは、また。(別れ)

自己紹介

 

どうも初めまして、私はひーひと申します。自己紹介をということでしたので、私と皆の関係性を話そうと思います。ただ、関係性を話すには少し時間を戻す必要があるので、中学時代から話させてもらいます。

私の中学校は普通の公立校でした。学力もそれほど高くなく、低くもありませんでした。その中学一年生の時、同じ部活にいた友人と出会ったのが始まりです。その友人は賢く、私にいろいろ教えてくれました。そして、高校に進んでからもその友人とは交流があり、ある日、友人は同級生を紹介してくれました。そして、その同級生とも交流が増え、彼が留学する前日ぐらいに、お別れ会をしました。そこでこのブログの話を聞き、参加することを許してくれたので参加させてもらっています。

説明が長くなってしまいましたが、これで自己紹介は終わりとさせてもらいます。ここまでで、皆さんには伝わっていると思いますが、私には文才がありません。だから、箸休めとでも思って下さい。これから、私は有田研究所というものについて毎週更新したいと思っています。次回は有田研究所のきっかけや、行っていることなどを載せるつもりです。皆さんがこれを読み終わった後に「変なことしてるなー」や「俺ならもっといい方法で出来るわ」など思い、反面教師として読んでくれたら幸いです。ということで今回はここで終わりにしたいと思いますが、折角読んで頂いたのに皆さんにとって何も得になっていないので、最後に私がいいなと思った言葉を添えて終わりにします。

「頭のいいやつは馬鹿からも聞く、その逆はない」
闇金ウシジマくん

 

生きた化石

皆さん初めての方は初めまして、そうでない方はいつもお世話になってますハズレんです。かなり久しぶりに記事を書きました。

前回までのあらすじ:輪番制ブログが発足し、それぞれの自己紹介を意識した投稿が続いている(ひとこ君の絵についての記事など)。私は高校では本を読んで議論ばかりしていたので音楽や絵には手を出しておらず、彼らの話は新鮮で読んでいて個人的に楽しい。さて自分はどんな話をしようかと考えていて、「生きた化石」のことが浮かんだ。これこそ私の専門を紹介するにぴったりの話題である。

生きている化石(いきているかせき、英: living fossil)とは、太古の地質時代に生きていた祖先種の形状を色濃く残している生物をさす。生きた化石と言われることが多い。学術的には遺存種と呼ぶ。地層の中から出土する化石と同じ姿で現代にまで生息していることから、このような呼び名が付いた。

生きている化石 - Wikipedia

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これからよろしくお願いします

どうも三人目です。今は浪人1年生でダラダラと受験勉強をして暮らしています。
この同級生同士でblogを回していくっていう企画にもなにも考えなしに、何となくやってみるか、のノリで参加してます。もともとブログやりたいとは思ていたのでとりあえず取っ掛かりにってカンジですね。

 

高校卒業してから毎日同じことばっかの繰り返しで、ある意味頭つかう生活してなくて、何か書きたいテーマがまだありませんでした。初回はとりあえず自分語り系にします。次回から考えたこと思ったことのせていければって思ってます。

 

最近は本も全然読んでなくて新しい情報が頭に一切入ってきてません。これ中々ストレスになってるきがします。半年前に勉強の哲学(勉強の哲学 来るべきバカのために 千葉雅也著 goo.gl/69U18F)を読んだ以来ですね。そういえばその時読んだ感想が友達曰く的外れてると言われて消化不良になってたので、今回はこの本に関する自分の重いを書きます。勉強の哲学の方が100倍いい内容なのでそっち先に読みましょう。

 

 

自分を変えたいと思ったとき自分の周りの環境は凄い大切な役割を果たすとおもっています。

僕が今まで所属してきた環境は大きく小学校と中・高学校の二つあります。小学校はごく普通の地元にある奴で、中学受験を経て中高一貫校に入学しました。

田舎の小学校ってのは、皆仲良しthe・平和みたいな所で、そのときの自分は、ごく普通の穏やか少年でした。周りからの扱いも、穏やかな"イイヤツ"って幹事でした。
しかし、中学生になって学校の環境がかわり、一から人間関係を築こうとした時、周りからほとんど相手にされませんでした。

受験勉強を経て集まった人たちは、小学校の友達と違い、所謂"面白い奴"が多かったように当時僕には思えました。分かりやすくいうなら個性が強い人達ばかりでした。小学生のときは、何となく皆仲がいいっていう雰囲気の中でやっていけた穏やかキャラは、そこでは取り残されていくだけでした。
ところが、周りの人達に数年間刺激され続けるうちに、今ではある程度の個性的なものは得ることができて、自分でもびっくりするくらい性格とか諸々の世界観が変わりました。今では小学生の頃の自分は別人のように思っています。
当時は周りの出来事に受動的にしか反応できず、自分の頭を本当に使うことはありませんでしたし、それを疑問に思うこともありませんでした。そのままでは本当に狭い世界を生きていたと思います。
今は、ある程度能動的に行動することの良さを感じられてとても嬉しく思っていますが、こんなに変化するとは小学生の頃の自分では流石に全く想像していませんでした。
きっかけは『偶然』出会った中学・高校がそのような環境に恵まれていたからです。
今のところこの出会いが人生のターニングポイントと言えると思います。これがあったからこそ、今日までいろんなことを経験できました。

 

 

例えば、自分の意識だけで自分の何かを変えようとするのは、凄い忍耐力とか覚悟とか必要で、難しい。自分の想像の範囲でしか変えられない、ということもあると思います。
逆に今の自分とは明らかに属性の違う環境に入り込めば何かしら影響を受けることがあるのではないでしょうか、と。

長くなってしまい申し訳ないですが今回の内容をまとめたらこれだけです。

 

現在自分が浪人中で大学に対するモチベーションが本当に薄くなっているのですが、とりあえずの頑張りでなんとなくで行ったとしても、また新しい環境で得るものはあるはずだと思って頑張ろうと思いますマル

僕の意見

ロックバンドは、ファーストアルバムが命だという。最高のファーストアルバムが作れないのなら意味はないし、セカンド以降もファーストアルバムからの脱却となる。おそらくロックバンドに限った事ではないだろう。最初の一歩というのはその後の全ての方向を決めてしまうのだ。したがって、これは傑作でないといけない。らしい。僕は全くのデタラメだと思う。そもそも実際にファーストアルバムがバンドの処女作集であることなんて一体あるのだろうか。そんなはずは無いのである。ファーストアルバムを出すまでにステージでも何曲も演ってはボツになり、スタジオでも作ってはボツになっているはずだし、なんならインディーズで何枚か出してしまっているかもしれない。そうなったとき指標となるべきファーストアルバムというのは一体どれなのだろう。初めて立ったステージでやった曲たちなのか、そこから淘汰されてインディーズで出したアルバムに入った曲たちか、メジャーで出したファーストアルバムに入っている曲か。こうやって考えてみるだけで、そもそもファーストアルバムが示すもの自体が何なのか怪しくなってきた。やはり全くのデタラメだったのだろう。とは言え、やっぱりファーストアルバムが良いバンドは良い。

O.R.